» 2015 » 11月のブログ記事

 

私たちは無宗教です・・・

そのため逆に色々な宗派の人達と親しくお付き合いすることができました・・・

年齢を重ねるごとに葬式に参列することが多くなります・・・

時としてお坊さんのお経が心地良く感じられることもあります・・・

時としてお線香のにおいが嫌な時もあります・・・

葬儀が堅苦しく感じるときがありました・・・

花が大好きな家内に好きな色の花で飾りたい・・・

お線香ではなく献花として花をあげたい・・・

お坊さんのお経ではなく好きな音楽を流したい・・・

スピーチの時私は合掌ではなくガッツポーズで合図をしました・・・

 

 

 

狭く暗い処が嫌いでいつも私と一緒にいたい椿を土には埋めません・・・

遠いところにお墓を作らずいつも私と一緒にいます・・・

いつの日か私が死んだら椿の骨と一緒に屋久島の海に散骨して下さい・・・

私たちは毎日毎日お互いを好きになってきました・・・

毎日毎日「綺麗だね」「本当にかわいいね」を繰返していました・・・

そう言い続けることで彼女は心底可愛い人になりました・・・

椿と言う名前が大好きです・・・

「本当に素敵な名前だよね」・・・

そんなことを毎日言っていました・・・

椿は骨になりましたが、嫌な病は焼き尽くしました・・・

今私はとても清々しい気分になりました・・・

可愛い写真の椿に又恋をしています・・・

私たちの人生に悔いはありません!

之からも私と椿で頑張って残りの人生を思いっきり楽しみます。

皆様宜しくお願い致します・・・

 

東城久幸&椿

 

 


 

 



 

 

今日は大変悲しいお知らせになります。

 

私の命より大切な家内が11月22日朝7時10分に命をひきとりました。

この日は良い夫婦の日でもあり、又他界した父の誕生日でもあります。

私のブログでこの様な報告をすることに成るとは私自身考えてもいませんでした。

今の私は時が止まったかの様に、これが現実と受け止めることで必死です。

今週末の葬儀が終わるまでは穏やかに過ごしたいと考えています。

それでも嬉しいことに私の周りの仲間たちは毎日私の自宅に訪れ、私の食事の心配までしてくれます。

いざ、と言う時にこの様な方達は心にしみる位ありがたい存在ですね。

写真は私に対していつでも笑顔で「頑張れ!」と言ってくれているように見えます・・・

 

 

 

【葬儀日程】

【通夜】

2015年11月28日18:00〜品川区桐ケ谷斎場

【告別式】

翌日(29日)朝10:00〜品川区桐ケ谷斎場

 

 

【病名と経緯】

病名:平滑筋肉腫

10万人に1人の確率と言う難病で日本人にはまれ、とのことでした。主治医いわく悪性癌の方が「まだまし」とも言われました・・・

背中を原発とし、腹部横隔膜へ転移、昨年(2014年8月14日)に胃の全摘を含め切除の為5時間以上の手術の結果、大動脈等の血管に絡みつき切除は不可能と判断の結果腫瘍の細胞を摂取しただけで胃も全部残し傷口を閉じました。

平滑筋肉腫は抗がん剤も効かず、放射線治療も効果が認められない為行いませんでした。

更に放射線より強い重粒子線治療は臓器との間が5㎜以上無いと不可能とのことで断念しました。

血液を抜き免疫力を高める免疫治療も効果が期待できないことと、多額の実費がかかる為断念しました。

セコンドオピニオンも受けましたが、検査に負担がかかるだけで答えは同じでした。

私達が選んだのは・・・残された余生を楽しむだけです。

手術後、テレビのビフォーアフターが大好きだった家内の夢である、築50年以上の我が家を大リフォームする依頼をしました。

40キロあった体重は35キロまで減少し、回復手術をした傷跡がとても痛い様でした。

リハビリの為1キロのバーベルを持ち家の周りを歩いたり、スポーツクラブのプールで水中ウォークで足腰を鍛えました。

我が家のリフォームが始まりその間、フランスのパリで表彰式を兼ねて憧れのルーブル美術館やエッフェル塔、ベルサイユ宮殿を楽しみ・・・

グアム島・沖縄・屋久島・・・etc・・・遊びまわりました。

Aquarium TOJOの会社はスタッフ皆様の頑張りのお陰で完全に任せることができました。

そのため私は24時間家内に付き切りができました。(今までもそうでしたが・・・)

1ヶ月一度病院で検査を受けても腫瘍は大きくならず、家内も元気になっていました。

病気をきっかけにいつも仲良しの夫婦は更に絆が深まりました。

しかし、病は夏位から徐々に悪い方向に加速してきました。

そして11月1日に入院、22日の早朝に亡くなりました・・・

 

亡くなる3日前には主治医から容態の悪いことを聴かされ、それも家内に正直に伝えました。

家内はこのまま苦しむくらいなら楽にして欲しいと私と主治医に伝え、私たちは葬儀の在り方や、家内が他界した後の事も真剣に話し合いました・・・

 

通常死んでから確かめようのない故人意思を生きているときに話すことができることも幸せなのかも知れません・・・

11月23日の夜の家内は水も飲めず、明日来る時まで持たないと確信していました。

しかし翌朝午前6時頃病院から電話が入り10分で駆けつけると病室に主治医と看護師がいました。

看護師さんを押しのける様に家内の顔を覗き込むと確り目を開け私を確認してくれました。

主治医と看護師の2人は気を効かせ病室から出てドアを閉めてくれました・・・

又、椿と2人きりになれました。

私は家内の頭に手を回し、家内の右手を握りしめ、何度も何度も「愛しているよ」「ありがとう」「今まで本当にありがとう」を繰返しました・・・

家内は何か話したそうでしたが、酸素マスクもしていて話すことができません。

私は「解るから大丈夫だよ」

いつも唇が渇くと濡れた綿棒で潤していたので、それを聞くと家内は軽くうなずきました。

軽く潤し、「もう一度する?」と聞くと首を軽く横にふりました。

 

かける言葉は「もう少しで楽になるからね」「之からはいつも私と一緒だよ」「今まで本当にありがとう」しか思いつきません。

「さよなら」はお互い一度も言いませんでした。

 

私の時間では1時間位、実際は20〜30分程度とおもいます。だんだん呼吸が荒くなり、頭を抱く私の手にも力が入りました、その次の瞬間、呼吸が止まりました・・・

最愛の家内は私の手の中で安らかに息をひきとりました・・・これもまさに彼女の願いでもありました・・・

主治医が病室に入ってきて死亡を確認2015年11月22日午前7時10分家内は天国に行きました・・・

今家内は我が家で寝ています。そして葬儀の日まで毎晩私は家内の横で時折手を握り一緒に寝ます・・・

 

皆様にお願いがあります。

人生の中で無駄な時間は作らない様にしましょう。たとえ何もしなくても1分1秒を大切に思い有意義な時間を使ってほしいと願います。

健康である幸せを噛みしめて欲しいと願います。

 

今回お世話になりました東京共済病院消化器外科担当の後小路先生、

その他大勢の看護師さん・・・

皆様は大変な作業をいつも笑顔でこなしてくれました・・・

深刻な状況の患者の心を癒してくれることが本当に身に沁みました・・・

大変なお仕事ですが之からも楽しみながら頑張ってください!

本当にありがとうございました。

 

私は現在58歳です、これからもまだまだ生きて行かなければなりません。之からも常に家内と一緒にいるつもりで、家内に恥じない様に生きようと思います。皆様の応援も宜しくお願い致します。

TOJO Familyは最高ですよ・・・

Aquarium TOJO 水景デザイナー スペシャリスト チーフ

東城 椿、

私の人生で最高の人でした、

 

 

椿、

永遠に愛しているよ・・・

 

 

 

 

 

 

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